ここビーチリゾートの町「バラデロ」の滞在は2日間の予定。
もっと長くいてもいいのだけど、こんな欲望だけで行動できる天国みたいな所に長く滞在すると、人としてダメになっていく。
いや、むしろ逆に、この怠惰な時間を長く過ごしてみると、徐々に怠惰な生活にも飽きてきて、本当に自分が望む時間の使い方ができるようになるのかもしれない。
やる気が出ない時には、とことんダラダラしてみると、本当に退屈になって自然とやる気も湧いてくる。人生も同じなのかもしれないね。
ちょっと検証してみたい気もするけど、次の町のホテルを予約してるから延泊もできない。またの機会にしよう。
まさか、12時間も…
明日には、この町を離れて、次の町「サンディアゴ・デ・クーパ」に向かうので、バスを予約しにいく。
地図でみるとホテルからバスターミナルまでは4~5キロだ。タクシーで行ってもいいんだけど、それだと味気ないから、のんびりと町を散歩しながら目指すことにする。
けども、ハバナでビーチサンダルで長距離散歩をした結果、足が水ぶくれだらけになってて、実は歩くのもつらい。とてもビーサンでは歩けそうにないから、スニーカー選ぶ。
「短パン+靴下+ハイカットのコンバース」という、映画でよく見る「庭でBBQをしてるアメリカの田舎のおじいちゃん」みたいな格好になってしまったが仕方ない。せっかくなら、白のハイソックスを持ってくればよかった(笑)

「馬車に乗らないか?」とか、「一杯飲んでいけー」とか、「お土産を買ってー」なんて売り込みを愛想笑いでこなしながら、町を進んでいく。
ビーサンとスニーカーでは、足が当たる所が違うらしく、足も痛くない。
ここは、ビーチリゾートの町だから、現地の人はあまり住んでいなくて、ツーリスト向けの飲食店やお土産物屋さんが続いている。はじめのうちは楽しいんだけど、結局、どこも同じようなお店なので、だんだんと飽きてくる。
やはり、こうして「つくられたもの」よりも、「積み重ねされた毎日の生活が垣間見れる」方が何倍もおもしろい。
途中、キューバ人のよぼよぼのおじいちゃんが杖をついて歩いてた。
ちょっと身なりが汚くて、ツーリストの人は眉をしかめて、避けて歩いてる。
そのおじいちゃんが、車が結構走っている道路を横断しようとしている。
僕は、そのおじいちゃんが歩くのも辛そうにしていることが分かっていたのに、気づかないふりをして避けてしまった。あれがかわいい美女だったら、鼻の下を伸ばして助けたはずなのに、僕は人を見て態度を変えてしまったのだ。
そのことに自分で気づいて、なんとも嫌な気持ちになってたところで、制服を着た高校生くらいの女の子が走ってきたと思ったら、おじいちゃんの腰に手を回して、道路を渡るのを助け始めた。
なんとも美しい光景だ。そして、それが素直にできなかった自分をとても恥ずかしく思った。
助けたいなと思ったのに、「余計なことかな」「うざいと思われないかな」「周りのツーリストになんて思われるかな」と、自分の気持ちよりも、周りの目を気にしてしまった。周りの目を気にして、本心をごまかしたことを自分は知っていて、その違和感はずっと残っていく。さっさと助ければよかったんだ。今度からはそうしよう。

そうこうしてると、バスターミナルについた。
こういうチケットカウンターにいるキューバ人は、すごーく陽気か、すごーく面倒くさそうな感じのどちらかだ。
今回は、残念ながら、とても面倒くさそうな方の人。世の中にある憂鬱のすべてを背負ったかのような顔をして接客してくる。
次の「サンディアゴ・デ・クーパ」行きのバスの時間を確認したところで、重大な事実が発覚!!
なんと、サンディアゴ・デ・クーパまでは、ここから12時間もかかるらしい。
夜21時発で、翌朝9時に着く便しかない。
さらに、サンディアゴ・デ・クーパから、その次の町「サンタクララ」への便も、同じように12時間かかり、夜21時発、翌朝9時到着だ。
はじめは「お、寝てる間に到着するなんて、いいじゃん!」と思ったのだけど、よくよく考えると大きな問題が。
というのも、僕の予定では、今日(3月6日)は、ここバラデロに宿泊。
明日(7日)に移動して、7日と8日は、サンディアゴ・デ・クーパに宿泊。
9日にサンタクララに移動。
と思っていたのだけど、明日(7日)のバスに乗ると、サンディアゴ・デ・クーパに到着するのは、8日の朝。
そして、9日にサンタクララに到着するには、8日の夜にはバスに乗らないといけない!
朝、到着したら、夜には出発することになる。
なんと、このスケジュールでは、サンディアゴ・デ・クーパには一泊もできない!
「うーーー、そこまでして行きたい町なのか…」と悩みに悩んだ結果、今回は「サンディアゴ・デ・クーパ」は行かないことにした。
きっと、またキューバに遊びに来いということなんだろうと前向きに捉える。
新しい町に行けない分、ここバラデロで怠惰な生活を送ろう。
ということで、3日後の「サンタクララ行き」のバスを予約して、ホテルに帰ることにする。ホテルも探さないとな。今のホテルが2泊追加できるといいな。

なんとも贅沢なお部屋に…
ホテルに戻ってフロントに行き、「もう2日延泊したいから、部屋あるかなー?」と聞いてみると、「部屋はあるよ。けど、ここで予約すると高いから、ネットから予約したほうがいいよ」と、ネットが繋がりにくいホテルで言われる。親切なのか、不親切なのか…。
ネットは本当に繋がりにくくて、グーグルで「バラデロ ホテル」を検索するのに、結果を表示するだけで5分もかかる。20代前半のネットが普及し始めた頃、「ダイヤルアップ接続って、こんな感じだったよなー」と懐かしい気持ちになる。
おもしろいもので、ホテル予約サイトの「Booking.com」は見ることはできるのだけど「この地域から予約はできません」と表示される。「Hotels.com」は閲覧も予約もできる。なんでだろ?「Booking.com」は、アメリカ系の会社なのかな。
無事に予約をして、ついでに、「サンディアゴ・デ・クーパ」の予約していたホテルに行けないことを予約してくれた人にメール。先払いしたお金は返ってこないだろうけど仕方ない。

再びフロントに戻って、「予約したよー。できれば、海が見える部屋に変えてもらえると嬉しいな」ってお願いすると、しばらくパソコンをカタカタしながら、「あなたのことが好きだから、いい部屋にしてあげる!」って!
しかも「今晩も空き部屋だから、今日からこの部屋でもいいわよ!」と新しい鍵をくれた。すごくラッキーだ。人には愛想よくしておくもんだね。
マンションタイプの同じ部屋が列ぶ11階のツインルームから、なんと、プールサイドの2階建ての一軒家コテージになった。一人なのに…、ベッドが4つもある…、しかも全部ダブル…。
広くていいんだけどね。広すぎて、どこに身を置いていいのかわからなくてソワソワする。せっかくだから、あと3泊はここで怠惰な生活を楽しもう。
ビーチへー!
広い部屋の隅っこに荷物を置いて、ここに来たら読もうと思っていたヘミングウェイの「老人と海」を片手にビーチへ。「老人と海」は漁師の物語なんだけど、その舞台がここキューバの海なんだよね。目の前に広がる海を見ながら、老人の世界に浸ってみるなんて、ちょっと贅沢だ。

ビーチには、トドのように眠る人、本を読みふけっている人、お酒を飲んでハイテンションで騒いでる若者、何かにとりつかれたようにひたすら泳ぐ人、ラグビーボールでキャッチボールするグループ、ひと目を気にせずイチャイチャしてるカップル…、本当にいろんな楽しみ方がある。
そんな人達の中にそっと入っていって、同じ景色の一部になっていくのが、なんとも心地良い。僕は僕の目を通してでしか世界を見ることはできないけど、ちょっと客観的に自分を見るようなイメージを持ってみると、まるで映画のワンシーンにでも入り込んだかのような錯覚がして、ちょっとワクワクする。
同じ時間を過ごすのでも、こうして意識を変えるだけでも、見える世界や過ごす時間の価値は変わっていく。
それにしても日が強い。あっと言う間に真っ黒になっちゃうな。
愛を問いかけられる晩ごはん
ビーチに2時間いただけで、案の定、真っ黒になってしまった。
しかも、ずっと太陽に顔を向けて、本を読んでいたので、体の前半分だけが真っ黒。後ろ半分は真っ白というなんともかっこ悪い感じ。明日は背中も焼いてみよう。

海に沈みゆく夕日と肌寒くなってきた風に、少し寂しさを感じ始めたので、ビーチを後にして、晩ごはんに行く。
今日はイタリアンをと思って、昨日、予約をしていたのだけど、レストランに行ってみると、手違いで予約できてなかった。席もないとのことだから、しかたない。明日の予約をして、今日もバイキングに行くことにする。
同じことが日本で起こるとちょっとイラっとするかもしれないけど、なぜかキューバだと「まあ、しかたないよね」と許せるからいいな。
この「ゆるさ」を受け入れるって大切だな。「特別にいい部屋にしてあげる」という「ゆるさ」を受け入れたんだから、「予約できなかった」という「ゆるさ」も受け入れないとね。こちらが得する時だけ「ゆるさ」を受け入れるのも違うもんね。それで平等だ。
愛をぶつけよう
バイキングに行くと、昨日、両替してあげたお姉さまが満面の笑みでハグをしてくる。ウザさ全開だな。でも、愛をまっすぐにぶつけられるのは、嬉しいもんだ。
つい、相手の出方を伺ってしまったり、イヤな気にさせないかなとか考えてしまうけど、お互いに遠慮してたら、自然消滅していく愛もあるかもしれない。
受け取るかどうかは相手が決めればいいんだから、こちらからは全力で愛を放出すればいいんだ。太陽みたいに。僕も、ウザく生きていこ。
このウエイトレスのお姉さま。昨日一晩、接客してくれただけなのに、僕の趣味を覚えていて、バイキングの料理をお皿に盛ってテーブルに戻ると、何も言ってないのにビールとコーラが置かれてた!
こんなにたくさんのお客さんがいるのに覚えてくれてるなんて!こういうのが、本当のサービスなんだろうね。
きれいな言葉を使うとか、お辞儀がどうかとか、身だしなみが…とかも大切かもしれないけど、そこに「心」がないと、こちらの「心」も動かない。
このお姉さんは、スカートはちょっと破れてるし、シャツにはシミがあるし、言葉なんて何を言ってるかもわかんないのに…、とっても愛を感じる。素敵な接客だ。

あとね。ちょっとおもしろいことがあって…。このバイキングだけでなくて、キューバ全体に言えることなんだけど、なぜだか、すぐにお皿を下げたがる。ビールをおかわりしに行っている間に、まだ少し料理が残っていたお皿は下げられてる。もう少し食べたいから、新しいお皿に料理を取って来ようとするんだけど、お皿を洗うのが追いついてないくて、きれいなお皿が置いてない。しかも、料理を盛ってテーブルに戻ると、さっき置いてた飲みかけのビールは下げられてる…。
きっと、「お皿が空いていたら、すぐに下げるように」と教わってるんだろうね。仕事にすごく忠実。
そういえば、昼間に見たキューバ人もそうだった。彼の仕事は「ビーチチェアをきれいにならべる」こと。
ちょっとでも人がいないビーチチェアを見つけると、すぐにまっすぐ所定の位置に戻しちゃう。でも、そのビーチチェアは、まだ使ってる人がいて、ちょっと海に入りにいってるだけなの。当然、海から帰ってきたら、また自分達の都合のいいように動かしちゃう。そして、今度はドリンクを取りに行ってる間に元に戻されて…というのを何回も売り返してるの。
18時くらいには誰もいなくなるんだから、そこからきれいに並べ直せばいいのに…。キューバ人のこういうところ、ほんとに好き。
気持ちは幸せなのか
話は元に戻して、バイキングレストランでのことなんだけどね。僕たち日本人は「物を大切に」と育ってきたから、こういうバイキングでも、自分が食べられるだけの量を持ってくるし、おいしいかどうか微妙はものは、まず少しだけ食べてみて様子を見てから、十分な量を取るようなことをする。残してはいけないって思うから。
でも、一部の西洋人は違う。ほんとに食べ切れるのか!と思うような量をお皿に山盛りにして持ってくる。で、ちょっとでもおいしくないと食べない。だから、西洋人の人が食べ終わったテーブルには山盛りの料理が残っていて、キューバの人が大きなバケツに捨ててた。
そうしてると、10代くらいの男の子が僕のテーブルにやってきて、「ねえ。塩を借りてもいい?」と塩を持っていった。何をするんだろう?と思って、彼を見ていると、西洋人が食べ残したステーキのお皿を、他のスタッフやお客さんに見つからないように、サッと取って、バックヤードに持っていった。多くの人からは影になって見えないのだけど、僕のテーブルからは丸見え。
そしたら、そのステーキに塩を振って、一気に口の中に押し込んだ。とっても美味しそうな顔をして食べてる。
調べてみると、日本人の平均月収は35万円で、キューバ人の平均月収は30ドルだそうだ。ざっくり日本の100分の1くらい。ここのホテルは1泊1万円だから、キューバ人の約3ヶ月分。僕たちの感覚に置き換えると1泊100万円以上のホテルに泊まってることになる。
キューバの人は、ある程度の食料は国から無料で支給されているとはいえ、実際にはそれだけでは食べていけなくて生活は苦しいとも聞いていた。そんな人達が、あの山盛りの料理をどんな気持ちで捨てているんだろう。10代の彼は、どんな気持ちでお客さんが残した料理に手をつけたんだろう?
僕たちが、ご飯を残しても、残さなくても、彼らの生活には変化はないかもしれない。(あるかもしれない)
でも、そんなことに想いを馳せることもなく、自分の欲だけに生きているのは美しくない。人は気持ちを満たすことで幸せを感じる。
「何をどれくらい食べるか」なんてことは本当はどうでもいいことで、そこでどんな気持ちになるかの方が、幸せには大きく影響する。そう考えると、こういう情緒って大切なことだ。
というか、きっと「ご飯を残すこと」が良くないことだと思ってもいないのだろう。価値観は本当に様々だ。
西洋人がどうとかということではなく、世界のどこにいても、こんなことに気づける自分でいたいなと強く思う。
かといって、今の僕にできることは、料理を残さないことと、わずかばかりのお金をここで使うことくらいしか思いつかない。自分の力のなさにも悲しくなる。
今、自分の発言力や影響力を高めたくて、本を書いたりして、一生懸命に世間の評価を集めようとしている。ちゃんと言葉や行動が届いていく人になっていかないとな。
西洋人ではない…
しかし、ここはキューバの町なのに、西洋人ばかりだ。ホテルに滞在している人のほとんどは西洋人だろう。まだ、日本人はおろか、アジア人に一人も会ってない。
アメリカやヨーロッパに旅行をする時にも感じるのだけど、西洋人の中に身を置くと「自分は西洋人ではない」ということを強く感じさせられる。アジアや南米、ここキューバを旅している時には、「僕は日本人だ」と感じることが多い。この違いって実はすごく大きくて、すごく大切なことだと思う。
キューバが、世界で一番、人種差別がない国と言われるもの、分かる気がする。
本当に、愛に溢れた国だ。
今日は歩き疲れて、また新しい水ぶくれもできたので、ダンスホールには行かずに、部屋でゆっくりすることにする。
ここまで自分が感じたことを忘れないように、スマホにメモをしておこうと思ったのに、あっという間に寝てしまった。
まだ、9時なのに…。なんて健康的なんだ。
今日も、おやすみ。
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つづく…
「感じる」文を書くんですね。
助けようと思って躊躇した自分も次はこうしよう。と決める心の動きも、ストレートでいいな、と思いました。これを読んだ直後、一旦通り過ぎて戻って、迷っていた旅行者をバス停まで案内しました。行動に移すきっかけをありがとうございました。
コーラとビール、覚えてくれててありがとう…は、そうやってありがとうを感じてくれたらサービスした方はもっと嬉しいです。
太陽の光や熱量って、地上に届くとき、場所(地球の傾き加減)によって変わるけど、出してる方は出してるだけですね。確かに。
受け取る側が、それを恵みだ、と思って受け取るなら、それがどのような形であれ、やはり恩寵なのではないかな。自分の行為(食べきれないほどのものを残す)がまさか、少年の胃袋をそんな形で満たしていると、その人が気づいていなくても。
もし、誰もが食べ切れるだけを行儀よく食べ切ったら、少年はその恩恵にはあずかれなかったんですし。
そのシーンを見て、様々なことを「感じる」という感性をずっと持ち続けているということに感銘を受けました。
大体は「そんなこと考えて、真面目過ぎるんじゃない?」
とか「考えでも仕方ないじゃん」で片付けられてしまって、なかなかそう感じていても口に出せなくなってしまいますよね。
だから、そういうシーンと心の動きの描写が秀逸だな、と思いました。
それから
お互いに遠慮してたら、
消滅ではなくて
恋なんか始まりもしないけど…
と思いました。