お目当ての長距離バスターミナルまでは徒歩10分ほど。
「maps.me」というアプリを見ながら、住宅街を進んでいく。
余談だけど、この「maps.me」はメチャクチャ便利。事前にその地域のマップをダウンロードしておけば、ネットがなくても使えて、自分がどこにいるかも分かる。今回のようなネットが弱い国に行くには必須アプリだ。
道中、犬か豚か分からないけど、とっても大きな何かの「太とも」が落ちててドキッとする。腐りかけていてハエがたかってて、とても臭いのに、なぜか目を離すことができない。
何にあんなに惹かれるんだろう?
あまり見ることのない光景だからか。「欲」とか、「生きる」「命」みたいな日本だとうまく包み隠されてるものがむき出しになってる様子が心地よかったのか。遠慮ない感じが好きなのか。自分でも分からない。
あまりにも長い時間眺めていたようで、ふと顔をあげると、僕の後ろに子どもたちが不思議そう顔して集まってた。よほど変な外国人に見えただろうね。ごめん、ごめん。
こういう時間が、旅って豊かだなと思う。日本という同じ環境にいたのでは気づけない自分と出会える。
「どんな時間を過ごしてみたい?」なんて聞かれて、出てこない答えと出会えるのだ。豊かだよね。僕は、こうしてどんどん自由になる。
我に帰って、バスターミナルへの道を急ぐ。
途中、バス停に座っている若い女子たちと「何人?」「日本人だよ!」みたいなやりとりを交わしながら、心も足も軽やかに進んでいく。

でも、なんだかさっきからずっと「ケモノくさい」しばらく洗ってもらってない犬のような匂いがずっとしてる。さっきの「ふともも」の印象が強くてイメージが残っているだけかと思ったのだが、どうやら本当に臭い。
なんだなんだ、取り憑かれでもしたか…と思ってると、なんと、歩いていた道の右側が動物園だった。よく見てみると、日本の動物園にもいそうな動物が柵の中で暑そうにだれてる。
日本の動物園のように、「動物の快適さ」や「見る人の楽しさ」みたいなものは考慮されてなくて、ただ、柵の中で、暑そうにしてるだけ。それを家族づれがキャッキャと言いながら見てる。
しかも、お金を払って中に入らなくても、道路から丸見えだ。

幸せかどうかは、その動物に聞いてみないと分からないけど、本来、生まれた場所を遠く離れ、自由を取り上げられ、ただ、残りの命をこなしていく。そんな動物たちを見ると、なんとも悲しい気持ちになるから、動物園は好きじゃない。
柵のこちら側にある道路には、野良犬が気持ちよさそうに寝てる。たしかにご飯を食べるのも大変なのかも。でも、僕は、こっちの方がいいな。
人生に「安定」を求めるか、「自由」を求めるか。これは人でも同じ悩みだけど、僕たちは自分で選べるからいい。ちゃんと自分の人生を自分で選んでいるだろうか?周りの言いなりになってないだろうか?流されてないだろうか?牙をなくしてないだろうか?そんなことを考えながら道を進む。
あまりに暑くて、頭もおかしくなりそうだ。
がんばってる。でも…
バスターミナルに着く。
3日後、「バラデロ」行きのバスを予約するためにやってきた。
中に入っていくと、バス会社の人が暇そうに立っていたので「予約をしたい」と伝えると、「こっちのカウンターに並べ」と指を刺した先には、20人ぐらいの列が。
はぁ、また列か…。しかも、本当に進んでない。
カウンターは2つあって、お客さんの対応をしているのだが、男の方が飽きてしまったのか、席を立って少し離れた所にいた人とおしゃべりを始めた。
こんなに列になってるのに!並んでいる人の視線は痛くないのか!?この精神力、すごいな。
ついついひと目を気にして「いかに嫌われないか」を何よりも大切な優先事項として生きてきた僕としては、呆れると同時に憧れる。僕もこんなふうだったら、人生違ってたかなと妄想してると、今度は、残っていた方の女性も席を立つ。
これでカウンターには誰もいない。
席を立った女性は、ちょっとは責任感があるらしく、サボってる男性の所に行って、何やら説教をしてる。「おお!がんばれ!」とみんなの期待が高まる。が、今度はその説教に夢中になり、かれこれ20分、列は進まない。
「このままだと…、一回出直すかな…」と思い、列を離れてバスターミナル内の探検をすることに。何かおもしろいものはないかなー。
まずは、さっきから行きたかったトイレだ。キューバの公衆トイレは、入り口に人がいて、その人にいくらかのコインを渡すシステムになってる。その人が掃除をしてくれるから、とてもきれいにされている。ありがたい。
僕もコインを渡そうと財布を探ってみるも、コインが全然ない。仕方ないので持っている紙幣の中で一番額の少ないものを渡すことにする。といっても24円だ。すると、その女の人はメチャ喜んでくれて、トイレの中を案内してくれる。いや、案内されなくても分かるし…。

個室を出たら、さっきの女性が掃除道具をきれいにしていた。水道をひねって、モップみたいな物を洗っているんだけど、水道の水があちこちに飛び散ってる。
なんせ、蛇口が僕が手を伸ばしても届かないくらい高い所に設置されてる。高い所から水を落とせば、そりゃあちこちに飛び散るよね。
あたりは水浸しになるから、またモップで拭いてる。でも、そのモップをまた水道で洗うんだろう…。
なぜ、そこに蛇口をつけた…。
一生懸命にモップの柄を伸ばして、蛇口を閉めようとしてる女性にさよならしてトイレを出る。
こんな感じのキューバ人の「ちゃんとしようとするけど、少し抜けている感」がとっても好きだ。
キューバのトイレ事情なのだが、町中には本当にトイレがない。デパートやスーパーも駅もないから、公衆トイレがないんだ。あるのは、博物館かホテルくらい。僕もトイレを使うためだけに、隅々まで見尽くした博物館に5ドルも払い3回も入った。
あと、公衆トイレの場合は、もれなく便座はない。なので、便器にお尻をつけないように中腰でがんばるか、もう諦めて、除菌シートみたいなもので、便器をきれいにして座るかだ。お尻がスポッとはまりそうでこわい。
ないのは便座だけでなく、個室の鍵もない。もともとはついていたんだろうが、今は、ネジの跡しかない。空港のトイレも含めて、僕は鍵のある個室には最後まで出会えなかった。
少し狭い個室であれば、手で抑えながらできるし、ドアの下が広く開いてるから、そこから足をのぞかせておけば、入ってこられることはないだろう。
でも、ときどき、やたら個室が広くて、便器に座っていたら、ドアに手が届かない時がある。そんな時は仕方ない。ドアは半開きのまま、「えへん、おほん」と空咳をして、「ここにいるよ!」をアピールすることになる。それでも、20日間の旅で、3回は個室を開けられ、「Oh Sorry…」的なことがあった。
紙ももちろんないから、持参したティッシュを使う。当然、便器には流せないので、外にあるゴミ箱に捨てる。キューバについてしばらくは、これになれず、お尻を拭いたあと、つい、そのまま便器に捨ててしまう。でも、3日もすると慣れてくる。今度は逆に、日本に帰った後、お尻を拭いた後、無意識にゴミ箱を探すことになる。人って、本当に慣れる生き物だね。
トイレでスッキリした所で、おもしろいものはないかなと、バスターミナル内を引き続き散策すると「ツーリスト窓口」と書かれたカウンターを見つける。
なんと、旅行者と現地のカウンターは違うらしく、さっき並んでいたのは「現地の人用カウンター」だったみたい。こちらの「ツーリスト向けカウンター」には誰も並んでない。カウンターで暇そうに新聞を読んでいるおじさんに「3月4日、バラデロ行きのバスを予約したい」というと、あっさりチケットを発行してくれた。やっぱり、ちょっと抜けてる。
空港での両替もそうだけど、キューバという国では、とりあえず列にならんではだめだな。とりあえず辺りを散策して、ちゃんとした情報を得てから行動することにしよう。
ちなみに、ここで現金と引換にくれるのは「予約チケット」このチケットを当日、バスの1時間前に「チェックイン」カウンターに持っていくと「乗車券」と引き換えてくれるらしい。この「チェックイン」を忘れると、お金を払っててもバスには乗れないらしいので、これから旅する人は注意してね。
パンツ1枚のおじいさんと…
バスターミナルを出て、炎天下の中、また街を歩き始める。せっかくだからと、大きな道ではなく、現地の人の生活が垣間見れるような裏道を選んで歩みを進めていく。
こういう小さな選択が旅の楽しさを創っている。「旅行」と「旅」は違う。ガイドブックに書いてあることをそのままするだけの旅行もいいかもしれないが、それだとテレビを見るのと何も変わらない。小さなハプニングとたくさん出会い、それを乗り越えていくことが旅の醍醐味だ。
旅の目的もいろいろあるだろうが、僕は「心が動く」ことが旅の意味だと思ってる。できるだけ美しいものも、できるだけ醜いものも、たくさん見て、日本にいては動かせない心を動かしたいのだ。
こちらの家は、リビングが道路に面していることが多く、しかも窓が全開だったりするので、道路を歩いていると、意図せずリビングで寛いでる人と目があったりする。それが、パンツ1枚のおじいちゃんや、シミーズ1枚のおばあちゃんだったりするのでバツがわるい。プライベートに土足で踏み込んだみたいで申し訳ない。愛想笑いを浮かべながら、その場を足早に立ち去る。
しばらく歩いていると、大きな広場に出た。大きな塔のある広場。「革命広場」だ。
メーデーなどではここに何十万人の人が集まって集会が行われたりするらしい。そびえ立っている塔は「ホセ・マルティ記念館」

ホセ・マルティは、はじめて「スペインから独立しよう!」と革命戦争をはじめた人。「革命の父」として、キューバ人にとってはとっても大切な人らしくて、街のあちこちに胸像がある。
ちなみに、キューバ人20人くらいに「キューバのヒーローは誰?」と聞いてみたところ、1位はこの「ホセ・マルティ」さん。2位はキューバ革命を成し遂げた「チェ・ゲバラ」さん。3位は同じくキューバ革命を起こした「フィデロ・カストロ」さんでした。


ホセ・マルティ記念館の中を散策していると、カストロが国民を前に演説をした時の写真が残っていた。この時、カストロは何十万人もの人を前に、6時間近くも演説をしたそうだ。日本だととても考えられない。
日本だと何万人もの人を集めることができるのは、芸能人かスポーツ選手。言い方は悪いが娯楽だ。キューバのように、「この国の未来を語る!」と言って、何十万人も集まるだろうか。
たしかに社会的な背景も違うし、国民の生活レベルも違う。でも、自分たちの未来を人に預け、政治は他人事。何か不祥事が合った時だけ、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てる日本。戦後「考える」ということを放棄してきた国民。政治をする側からすると、なんとも扱いやすいだろうけど、なんともやりがいのない国なのかもしれない。僕たちもそろそろ自分たちの未来を考え、責任をもって創っていかないとね。他人任せにしてる場合じゃない。
日本でも、政治家の演説に何万人と集まり、その人に向かって、6時間も飽きることなく語り続けられるような政治家が出てきてほしい。僕にできることならやりたいものだ。これは、じっくり考えよう。
そんなことを、カストロが演説をした、まさにその場所に立って感じてみる。今、ここに自分が立ち、日本、世界の未来を語る。それを多くの人が真剣に耳を傾けてくれる。そんなシーンを想像してみる。
別にヒーローになりたい訳ではない。言っておくが、僕は人前で話すことを仕事にしているにも関わらず、目立つのがキライだ。恥ずかしい。でも、僕が語ることで、多くの幸せが生み出されているのであれば、それは使命なんだろうから役割を与えられるなら、全力で取り組む。
「語れるにふさわしい自分」を育てていこう。というか、僕である必要はない。また別の機会に詳しく書くが、今の日本には革命が必要だ。多くの人が違和感を感じながら、誰かがやってくれるはず…と高みの見物をしてる。僕は、そこに突っ込んでいきたいだけだ。

そんなことを感じていたら、あっという間に時間は経ってしまい、もう夕方だ!ここに2時間もいたことになる。
さっさと帰って、ご飯を食べに行こう。ラムが名産のキューバ。今日は、おいしいモヒートが飲みたいな。
つづく…
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